さっきまで課題を倒しながら原神公式生放送を観ていたせいで、気がおかしくなってました。視聴しながら、最初は「空蛍~~~(泣)」だったのが、段々と「こんなことをしている自分は一体何を生み出したのだろう」みたいな最悪の内省モードになってしまい、最後には涙の意味まですり替わって、完全に個人的な問題で号泣する意味の分からない時間でした。頭がおかしい。顔面はボロボロでも芯の部分は真面目なので、課題は何とか提出できました。
ここ数年、良いものを見ては無条件に嫉妬して自分の至らなさに悔し泣きする当たり屋になっています。どう考えても勝ち目がないほど実力差のある対象でも、本気で悔しくて駄々をこねるが如く泣いている。比べることすら烏滸がましいようなものに対して理不尽にキレています。ゲームや歌にとどまらず、授業中に読んだ文豪の作品に対しても悔し泣きしています。お前この年齢でこれを書いたのかよ、と……
正直、何に対して悔しくなっているのかも定かではなく、八つ当たりなんじゃないかと思うこともあります。良すぎる創作物と、その作者に対する嫉妬は勿論のこと、絵が下手くそな自分、下手くそと知りながら大物に嫉妬している身の程知らずな自分……絵に一生懸命になっていることを正直に認められない自分にも悔しくなります。何というか、この年になってもまだ現実味の無い夢を追っているのかと達観するような自分に腹が立つ。この前も話したけど、全てのことを一生懸命やりたいと言いながら、一生懸命を一番馬鹿にしてるのは自分なんですよね。それが悔しい。一生懸命になり切れない奴がどれほどダサいか知っているのに、いざ自分が必死になっていると馬鹿馬鹿しくなってしまうのは何故なのか。
きっと、自分の中に「早いうちに、若いうちに何かを成し遂げたい」という漠然とした願望があったのだと思います。この、何かに追われるような焦燥感から逃れられたことは一度もありません。とにかく早く「凄く」なりたかった。それなのに、成人して尚この凄惨たる有様なので、焦りが増すわ増すわ……あんなに早く大人になりたいと願っていたのに、精神年齢の変わらないデカいポンコツが出来上がってしまったので、自分の期待に応えられなかった自分にショックを受けているというのもあります。しかし、本当に大人になったら私は創作を諦めるのかなと思うとゾッとする。自分の根底に絵を馬鹿にしてる自分がいるのは事実なんですが、それに引っ張られる自分のほうがよっぽどガキな気がします。本当に強い奴はちゃんとやりたいことを最後までやるよ……今は処理しなくてはならない年金の書類を見つめながら泣いてます。一体何がしたいんだろう。悔しいから、絵諦めないけどな!
大器晩成どころか大器を成すことは今後一生ない気がするけど、いつか絵でちやほやされたいという野望はあるので、醜く悔し泣きしながら這いずり回ってやります。いつか絵バカ上手くなった時に今の絵を掲載して、阿呆ほど反応が来るのを見ながら「所詮絵なんか運ゲーだし、作者にしか興味ねぇじゃねーか、あの時誰も見てなかったくせによ」と笑ってやるところまでの妄想はできています。