みえ

 最近電車で移動するバイトを始めたと書いたのですが、その半年分の定期を買ったら来月の請求が恐ろしいことになってしまったので、取り返せるように慌てて働いています。ホワイトな職場なので交通費支給されるのは嬉しいですね。一気に買ったのは愚かだったかもしれん……
 今日は大学でバイトをしていたのですが、同じ学部学科でずっと話して見たかった子と話せて本当に嬉しかったので、高揚したままに日記書いてます(不審者)。もう本当に嬉しかったし楽しかったんですよ……

 私の所属する学科は、学科内でも専攻が細かく分かれているので時間割の個人差が特に大きいのですが、何故か毎授業見かけるメンツが2人ほどいます。これだけ選択肢のある中から、わざわざ人気の無い中世古典文学の講義とか、変体仮名や漢文の書き下し解釈の実習を取っているのだから、絶対に趣味嗜好が同じ方向に向いているに違いないと思いつつ、全く話しかけられず……あまりに授業が被るので、相手方2人のフルネームまで覚えてしまい、話しかけたいのに何も言えないという状態が続いていました。今回、学内のバイトに応募したところ、たまたま名簿にその内1人の名前が見えて勝手に運命を感じてしまった。
 こういう時にバイトというのは良いですね。業務連絡等で強制的に会話の機会が設けられるので、初めて話しかけるときの気恥ずかしさが全くありません。連絡事項の後に、それとなく同じ授業取ってますよね~と言ってみると、相手もニヤニヤしだしてとてもよかったです。我々は互いに認知していたにも関わらず、ずっと話せていなかったらしい。片思いじゃありませんでした、両思いだったよ。
 相手の子も私の名前を覚えていたらしく、自己紹介フェーズをすっ飛ばして、いきなり「好きな作家とか文豪とかいますか?」と聞かれました、最高だ。そこでお互いの好きな作家と作品の話をしました。彼女は谷崎が好きで(しかも初期の谷崎、とても強い)、近代文学の研究をしたいらしいです。自分は古典文学、特に(西行の)和歌をやりたいのだと言うと、間髪入れずに「嘆けとて、何でしたっけ?」と言われて私は感涙した……彼女が言いたかったのは、百人一首にある西行の和歌で「嘆けとて月やは物を思はするかこち顔なるわが涙かな」だと思います。これ答えるために生きてたんだよ!と言わんばかりにニチャニチャしながら伝えると、めちゃくちゃ食いついてくれて、お互いに好き作品の好きポイントを解説し合いました。本当に良い時間だった……

 私は「極力生きやすい形で存在する」ということを非常に大切にしているので、集団生活の中で明るく朗らかでフットワークの軽い人間が好かれると分かったらそう振る舞うし、世間一般に空き時間に本を読めばお堅い真面目に分類されるのなら人目に付く場所で本は読まないなど、とにかく他人からの見え方を気にしていました。授業後は友人に何を聞かれても、私も何も分からなかったという趣旨の話を面白可笑しく言うとか、先生の問いに対して大喜利をしてみるとか(不敬)、とにかくヘラヘラしています。それはそれで楽しくて、みんなで爆笑している時間も好きなのですが、大学に来たのに何故学問的な話で盛り上がれないんだろうと思う自分がいるのも事実です。ヘラヘラしている外面の自分に悶々としてしまいます。
 文学の授業の後に「谷崎ヤバすぎW、なんもわからん」「1000年前の日記残ってんのエモいわ~」で全てを誤魔化す自分が情けなかった。それを本当に好きで好きでたまらないのに、その場のノリに合わせて空気を温める適当な言葉を吐く自分が信じられませんでした。しかし、自分がそういう態度を取り続けるものだから、自然と面白可笑しいグループが形成されてしまって、いよいよ真剣な発言ができなくなる。1つ断っておきたいのは、そのグループやメンバーが悪いという意図は一切無いということです。ただただ自分の見え方が気になって、好きなことを好きと言えない臆病な自分が悔しいということ。言えば分かってくれるはずなのにな。ここまで構築してきた、絶対に生きやすいであろう自分の印象が歪むのが嫌になってしまいます。
 今日は、そのような既存のコミュニティの外の学生との交流で、彼女の中に私に対する明確な印象が構築されていなかったので、自分の好きなものを好きだと口に出せて本当に嬉しかったのです。多分私は、今これを読んでいる方の想像する十倍は興奮している。嬉しくて楽しくてたまらないんですよ。本当に嬉しい。しかも好きなものに対して語り合いができるなんて……私が一方的に語るのとはわけが違います。まあ印象付けられていないとはいっても、彼女から、あなたは遠目に見ても超陽キャで教職も取ってる体力バカだから仲良くなれないと思っていた、と話されましたが……それも噓じゃなく私で、読書や文学が大好きなのも私なのだと、ちゃんと自分の口で言えました。それが今日一番の功労かもしれません。

 以前から何度も紹介している幼馴染の友人のことを、楽に生きるために苦労する阿保だと書いたことがあるのですが、自分も似たようなものなのだと思います。世間一般に「生きやすい」「躓かない」とされる見え方に囚われて、どうにかして周囲に歩幅を合わせようと必死になるのですが、それは返って自らの首を絞めているとも言える。でもこれが間違いだとは思えません。この印象操作で手にした楽な立場は確かにあります。別に演技してるわけじゃないし、他人から見られる角度や方向を変えているに過ぎません。でも、誰にも見られない部分をずっと抱え続けるのは賢明とは言い難いのだと思います。それを確実な信頼の下で開示し合える関係が、私と友人の関係であって、今回の交流だったのかもしれません。私も友人も、臆病の裏返しで気が強そうに振る舞って、分厚過ぎるバリアを張ってしまうのが良くない癖ですね。逆に、気が弱そうに振る舞って、無知のまま守ってもらえそうな妹キャラを貫こうとするのも良くない。そういえば、久々に会う友人に対してどのキャラで接していたか思い出す作業から始まるよね、と3月に友人と話しましたね……最悪のコミュ障。

 今日話し込んだ子は、明日も丸一日一緒に作業します。文学の話で盛り上がり、彼女が文芸部に所属していると言ってくれたので、私も調子に乗って個人サイトでブログを書いているのだと伝えてしまいました。URL等の情報は一切伝えませんでしたが、こんなこと初めてです。このサイト、ガチで誰にも言ってないし幼馴染も知らないのに……もうテンションが上がりまくって気がおかしくなっていたのだと思います。しかし、やっぱり絵を描いているとは言えませんでした。言えなかったけど、アニメなどのサブカルチャーの話になったときに、私は絵が好きだとフワッと伝えることはできました。これは大きな一歩だわよ……絵を描いている自分を認められない自分や、絵に真剣になっている様子を見られたくない自分が本気で嫌になるんだけど、それはまた今度書こう。あー、こんなにワクワクするバイトは初めてです、明日が楽しみ、今日は谷崎作品でも読んでから寝ようと思います。(今日終わってたわ、現在00:41)