もう四月が始まったんですね、新学期じゃ……今の今まで履修登録と格闘していたのですが、とりあえず何とか登録し終えたので、あとは抽選で落ちないように願うことしかできません。頼む!前回落ちまくって理系科目鬼授業まみれの地獄の時間割が出来上がってしまったので、今回はちょっと楽させてほしい!そもそも必修の授業が抽選なのおかしいからな、という気持ちです。運が悪ければ4年まで取れないらしく、3年間フル単でも卒論書きながら単位拾いしなくてはならない状況になる可能性があるそうです。たとえそんな状況になったとしても、絶対教員免許ゲットするし4年で卒業するからな!
それにしても、毎回履修登録を手伝ってくれる教職仲間の友人たちや先輩には頭が上がりませんね。今回は先輩に沢山助けられました……2年からコースごとに決められた条件を自力で確認しなければいけないのですが、○○先生のゼミに入りたい時はこの授業は必修とか、○○を先行するときは教員免許の科目が絞られるとか、聞いたことのない条件が大量に出てきて泡を吹いていました。そういう重要なことを別紙に書いたり小さい注釈に書いたりしないでほしいです。先輩に自分の希望を伝えたら、何となくの履修モデルを組んでもらえたので、命からがら突破することができました。疲れた……あとは私の頑張り次第ですね、良い成績をキープしたい……
先月帰省した際に高校書道部の友人に会ったのですが、私以外の友人はみんな書道を続けているらしく、物凄く羨ましくなってしまいました。弊学に書道部・同好会なるものは無い……しかし、そのような集まりがなくとも、道具さえあれば一人で黙々とできるのが書道なので、書道部が無いから続けられないというのは言い訳に過ぎないのでは?という考えから、先日書道店に行ってみました。やはり書道用具は高いですね……書道、貴族の高尚な趣味。結局、その日は何も買わずに終わったのですが、本当にこれからも続けるのであれば展覧会には出品したいし、それなりのものは揃えたいところです。ただ個人で古典の書集を買い揃えるのは難しいなと思いました(全て買い揃える必要は無いんだけど、臨書するなら好きなやつ数冊は欲しい)。これが書道部に所属したい所以よ……書体の辞典は大学に数冊あったのですが、さすがに古典書集はありませんでした。どうしようかな……とりあえず、教職課程の必修で書道があるので、筆と墨だけ買っておこうと思います。
幼少期に習字を習う子は沢山いると思うのですが、それをずっと続ける子というのは少ないらしいですね。自分の身の回りには、高校大学と習い続けて昇段試験を受けたり雑誌に載ったりしてる子が多いので知らなかったのですが、部活が始まる中学の段階で辞めてしまう子が多いようです。そこからもう一度書道をやろうとする子は相当珍しく、ほぼいません。
自創作に関して、自分がわかる範囲のことしか書けないので、比較的解像度の高い書道をOCの特技みたいにしています。萱乃さんは幼児期から筆握ってますが、一度書道から離れる期間があります。何となく遠ざかってしまったり、しんどくなって距離を置いたりしたことを再開するというのは本当に難しいことで、再開したとしても昔の感覚を取り戻そうと躍起になって、結局フェードアウトしてしまう気がします。過去に功績があればあるほど復帰のハードルは高く、実力に対するプライドも高い。再開直後の(こんなにできなかったっけ?)という感覚は驚くほどつらくて、周りに追い越されているショックで立ち止まってしまいます。これは自分の経験則……それで体操辞めました(そのくせ体操について語ってしまうの本当にダサい)。辞めなかったのが萱乃さんの元ネタの友人です、意味わからんくらい悔しいし眩しい。友人は陸上なんですが、中学で離れかけた後高校で再開して、大学でも記録会などに参加しています。しかも良い記録残してる……そりゃ嫉妬くらいします。
萱乃さんが中学の書道部に入る駄文、一昨年に書いたまま封印しっぱなしになっていたのを先日発見しました。びっくりするくらい長かった……整えてから創作ページに載せる予定です。彼女は左利きだから、ブランクがあると尚更きついだろうな。たまに左利きの人が筆を持つのはどちらの手なのか聞かれるのですが、書道はだいたい右手です。左手で書道の筆の動きをするのは現実的ではないと思います。左手で書かれている日本人書家の方もいらっしゃるんですが、正直なところ、左手で右手の動きを模倣するより、慣れない右手を慣れさせる方が楽なんじゃないかと思っています。これは右利きの主観でしかなく、個人差があると思いますが……書道部の左利きの後輩は右手で書いていました。萱乃さんも右手で筆を持ちます。その他ほぼ全てのことを左手で行っていますが、筆だけ右手で持つタイプの左利き。元ネタの友人も左利きで、習字の授業では右手に筆を持っていました。ちなみに友人は字がかなり汚いです。習字ももれなく下手でした。
あんまり知られていない気がするんですが、書道で一つの作品を仕上げるまでには多くの過程があって(臨書なら誤字の無いように古典の字を調べる、創作なら文を考えて字を調べる・収め方を考える、仮巻きする裏打ちするなど…)、最終的な作品は数百枚書いた中の一枚だったりします。思いついた言葉を思いついたままに適当に書くんじゃないです、全部精巧な計画のうちに仕上げられた作品です。何百枚も書く過程の中で段々と自分の字を見つけていく。筆の動きに従って墨が紙に吸い付く感覚が自分のものになっていく感動が好きです。未熟なので、何枚書いても書く前は緊張でお腹が痛いし、起筆で手がぶるぶるしそうになりますが、それでも字と向き合っている時が一番ひたむきになれる。書道は自分探しだなと思います。自問自答し続ける長い長い時間。どこまでも孤独に、ただ自分の道を歩く時間……百枚書いたものが最終的に一枚になるとして、残りの九十九枚が無駄になるかと言ったら、絶対にそんなことはない。その全てが自分の道で、ここに来るまで自分を支えてきた自分自身。そういう面で、書道は本当に面白いと思います。創作で自分の描きたいものにとても近い気がする……足跡を辿る中で見つける自分。これからも描き続けていたいと思います。